岡山で楽しく悔いなく生きる

【お名前】三宅徹(33),舞(31)
【3.11後の避難の経緯】千葉県市川市(震災時)→岡山市(2015.9)
【同居の家族】インコ(5)

§ 避難を決めた理由

放射能汚染を心配して。結婚した2013年ころから、「関東は大丈夫か?」と言い合っていたが、妻が30歳になり、子どもを持つことを考えたため。 「黄色信号」だから逃げる

【舞】事故のときは、1か月ずっと窓を閉め切っていた。子どものアート教育の会社に勤めていて、お母さんたちも「放射能は大丈夫か」と心配していた。会社でガイガーカウンターを使って測ったりもした。年に1度、北関東の陶芸工房に80人ほどの子どもたちと行く合宿は、震災が起きた年は参加者が減ったが、今では元に戻っている。

【徹】会社では商品の在庫管理をやっていた。事故の1か月後に福島原発の20キロ圏内から商品が来て、「これはヤバいんじゃないか」と思い、個人的にいろいろ調べた。会社は、「20キロ圏内から外へ商品を出す際の検査を行った」といったが、信用できなかった。個人的にガイガーカウンターを買って調べたところ、問題はなく、やっと安心することができた。

そのうち意識が風化していったが、子どもがいる友人に、「黄色信号の時点でアウトだよね。赤信号になったら、もう取り返しがつかないよね」と言われて、気持ちが動いた。現状をしっかり確かめたくて、東京駅の丸善でまる一日、様々な文献を読んだが、IAEA(国際原子力機関)とECRR(欧州放射線リスク委員会)ではまったく見解が違い、他の文献も主張はバラバラで、明確な結論にたどり着けなかった。結局、「危険だ」という見解がある以上、「黄色信号」だと思い、「黄色信号なのだから逃げよう」と決心した。

§ ご縁と流れで岡山へ

原発マップをダウンロードして、原発から遠い県を探し、岡山・和歌山・愛知に絞ったが、和歌山・愛知は津波が心配で、ならば岡山だろうと。 和歌山には祖母がいて、一度ふたりで下見に行った。 自然はすばらしいし、人も親切だが、仕事があまりに少なく、街の中心部にも活気がなかった。 東京の交通会館で行われた岡山の移住相談会に行ったら、先輩移住者の方と出会い、岡山の地元企業に就職し充実した生活を送れていることを聞いて、岡山なら就業も可能かなと思った。 その後、岡山を下見し、ここへ移住する気持ちが固まった。

【舞】 兵庫と大阪に親戚がいて、「岡山はゆっくりしてええで」と言われた。

【徹】そういうご縁と流れで、岡山に来ることになった。最近、「どうして岡山に来られたんですか?」と、目をキラキラさせて聞かれたことがあったが、このような流れを説明すると、強い魅力を感じたわけじゃないと思われたのか、若干トーンダウンされて・・・(笑)。 でもそんなことはなくて、周囲から「岡山は何もないでしょ」と言われるが、観光地が点在し、食品など特産品もいろいろあるし、週末には各所でイベントがあって、おもしろい。 東京で岡山の仕事を決めてから移住しようと思い、転職コンサルタントの紹介で企業の採用試験を受けたり、岡山の地元企業が集まった新卒向け面接会に飛び込んだりもしたが、ご縁がなかった。 そうこうしているうちに、そのとき勤めていた仕事の切りがよかったので、2015年8月にすっぱり辞めて岡山に引越した。

§ 両親の反応

【徹】 移住することについて、父は「賢明な判断だと思う」と言ってくれた。 父は以前、週刊誌の記者をやっていて、地震学の記事を書いたこともあって、事実が隠されていることもわかっていたのだと思う。一方、母は「なんでそこまでしなくちゃならないの?」と言っていた。 しかし、関東各地のホットスポットの資料を見せ、「近所の巣鴨の道路でも、チェルノブイリの避難推奨地域と同じくらいの放射能汚染が出ている」としっかり説明したら、移住の必要性を理解してくれたようだった。 「今後、関東でなにか事が起きたときの避難先と思ってほしい」ということも伝えた。

【舞】 私の父は、「2人で決めたことならいい」と言ってくれた。 母は初めはなかなか納得しなかったが、30年経ったチェルノブイリの現状を伝えて説得したところ、ようやく納得し、移住を後押ししてくれた。 自分で判断し、やりたいことをやる

【舞】メディアが本当のことを伝えてないのは、事故前から知っていたが、自分で判断しなければならないことを学んだ。情報を集め、自分の身は自分で守らなければ。日本はどこへ行っても原発があり、放射能と隣り合わせであることにも気づいた。ヨーロッパで地震が起きたら、プレートの影響で数年後には日本でも起きるように、すべてはつながっていることもわかった。

【徹】震災前、仕事のことでちょっと行き詰まっていたが、震災によって多くを失い、思うように生活を送れない方を見て、「人生一度きり。やりたいことをやる。悔いなく生きる」と思うようになり、それが移住という形につながった。環境も変わり、仕事も変わり、これまでになかった様々な経験をしたり、新たな価値観を感じたりしながら、今、人生をかけてやりたいことを少しずつ模索している。

§ 住みやすい岡山

【舞】 岡山はすごく住みやすい。実家は千葉だが、岡山と雰囲気が似ている。お店には地元や九州産のものが多いので、食べ物のことを気にしなくなった。今は野菜を作ってみようかと思っている。

【徹】 ぼくも岡山は住みやすいと思う。スーパーが近くにあり、ホームセンターも点在している。食べ物は新鮮で、安全で、おいしい。特に、スーパーで普通に売ってるトマトが、とてもうまい。東京では、良い食材はちょっと高級なスーパーでなければ手に入らない。岡山駅前に行けば大きなショッピングモールもあって、にぎやかで便利だ。しかも山が近くに見えて、帰宅するとほっとする。

東京都心からちょっと郊外のマンションの広告で、「都会の便利さと郊外の自然の豊かさを併せ持ったハイブリッド・シティ」というキャッチフレーズを目にした。岡山は、都会に求めるものもある程度手に入り、山々と瀬戸内海という大きな自然、そして豊かな食べ物が身近にあり、これこそが「ハイブリッド・シティ」だと思う。

(2016.9.29 仙田・高橋)